「書くことがない」と伝えるために書かねばならない。

数字の「0」的な発想。
"ない"ことを、"ない"と示すことは、極めて重要なこと。

例えば、「因果」と「当たり前」は違う。

「書くことがない、だから、書かない。」

これは当たり前にそう思われるだろう、というだけであって、
因果として成立するような「正しい論理」かというと決してそうではない。

書くことがないのであれば、書くことがないことを伝えねばならない。
ただ、書くことがないときに、「書くことがない」と文字列を書くのは、違和感。
なぜなら、「書くことがない」という文字列を書くことが「ある」わけであって、例えるなら、外人に「I can't speak English」と言っているようなもの。
#英語喋れてるじゃねーか

最近、仕事で忙しい。
書くことがない。

それでも、データとして”ない”ことを残しておくことには強い価値がある。
投票に行かないことと、白票を投じることは違う。

会話でも似たような話ができる。
きまづい2人。
なんとか静寂から逃げようと、お互いにあーでもないと懸命に話し合う社会人。

一見、間を繋いでいるように見えて、実はお互いがお互いに「話すことがない」ということを懸命に伝えあっているだけなのかもしれない。

そう思うと余計面白くなってくる。
「お前とは話すことがないんだZE」と、さも楽しげに伝え合っているなんて、とち狂ってる。

結論、本当にどうでも良いことを書く、みたいなことができると、「書くことがない」ということを綺麗に主張できているような気がするんだけれど、じゃあ、本当にどうでも良いことってなんだろう、都築怜にとって本当にどうでも良いと伝わる言葉ってなんなんだろう、そう考えていくと、書くことがない、という主張は極めて難しいと気づく。

何か、悟りなるものを開く境地に行かないといけない感じすらする。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n0371a8802775
公開日: 2023-06-22 18:00