【世代間別AI観】70s, 90s, 2010s

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最近、AIがいるから人へのタスクの振り方が変わったり、人にタスクをそもそも振らなくなったり。
そんな自分にうんざりしている。
ダサい仕事してんじゃねーよと自分が嫌いになる。
この感覚、何に近いかって、「チャリ走」のアプリをやった後の感覚に近い。

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チャリ走っていうアプリがあって、確か高校生くらいの頃、暇だったんでちょこちょこやってたんですが、最近またちょっと始めてはアプリを消して、ということを2-3回繰り返している。

というのも、極めて僕にとってカッコよくない時間の使い方をしているように思えてしまって。
意味がない時間を過ごすのが嫌とか、そういう話ではない。
過ごした時間に嫌悪感を示すかどうかは、金になったかどうか、何かしらの成果があったかどうか、ではない。

例えば、『太陽がいっぱい』のアランドロン、非常にカッコいい。
彼はチャリ走を絶対やらないでしょう。
彼がやっているところを想像すると確かにダサい。

そんな時間の使い方をしたくないのです。でもあれ、病みつきになるような作用があってですね。
たまに、再インストールしてやってしまう。
でも、やってるうちに自分が嫌になってまたアプリを消す。この繰り返し。

話戻すけど、やった直後に後悔する感じのあの後悔、そんな感じで最近の自分の仕事をやっている感じには、自己嫌悪を覚える。

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でね、AIに対する周りの反応なんですが、なんか世代間によっての感覚の違いを何となく感じます。
まず、1970年代以前の方達、
次に、1990年代の僕ら、
そして、AIネイティブ世代と言ってもいい2010年代以降の子供達。

おじさん、おばさんたちは、どことなくAIを「新しく出会う人種」的に捉えているところがある。
要は、「人じゃないけど人っぽい未知の”生物”」として接している感じがある。
1970年代以降の方々はケータイとかを大人になって使い始めた世代ですよね。
なんか「人」っぽく捉えているというか。なんか、そんな感じがする。
この世代の限界点は、「ある種の恐怖感」みたいなものがついてまわる感覚に陥ってしまうことだと思う。
おっかないね、みたいな。

1990年代世代、20代、みたいな感じの人たちは、もう少し「ツール」としてAIを捉えているところがある。
だから、おじさんたちが感じているような怯え、みたいなものはない。
スマホに入れる新しいアプリ、のような感覚でAIを捉えている感じがある気がする。
ただ、この世代にもまたある種の限界点、みたいなものはある気がしていて、それが「自分の中身が空っぽになってしまうのでは?」的な恐怖です。
なんでもAIに頼る、ツールばかりに頼ると、中身の空っぽな人間が出来上がってしまうのではないか?と。
それをよくない事だと思っちゃうあたりが、AIネイティブには感じない恐怖なんだと思う。

じゃあ最後、まだ物心ついてない赤ちゃんも含めたAIネイティブ世代ですが、
彼らは、自分たちの延長線上、あるいは完全に自分と同列な存在としてAIを認めているんじゃ無いでしょうか。
要は、「1990年だい生まれのおっさんたち(彼らからすれば十分僕らはおっさん)は、自分の中身がどうとか言ってっけど、AIが無い状況というのがあり得ないわけだから、そこ怯えてもしょうがなくない?」みたいな。
AIができることはAIができることではなくて、「自分ができること」の範囲の中で語れる感じになってるんじゃ無いのかなぁと。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n81c98e10bd4b
公開日: 2023-04-05 17:00