Uberなデリバリーに焦がれて

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*現在mediumからnoteへの移行中につき、記事の全文を無料公開しています。なお、こちらの記事は2021年8月23日に書かれたものです。
(ちょいと修正しました)

昨日の20:00頃、帰り道に見知らぬ男女とすれ違ったときのお話。

女性の方は手ぶらで、部屋着のまま外に出てきたような雰囲気。
夜も肌寒く感じる頃、部屋着の少し上に何か羽織っていたような気がします。
お隣の男性の方を見ると、大きな四角いバッグ、某Uber Eatsのバッグを背負って自転車を押していました。

今やあのバッグを背負って自転車にまたがり、道路をただひた走っている光景も見慣れたものです。
しかし、この男性は自転車には跨っておらず、更には、横に女性を連れて歩いている。
この光景にどこか新しさを持って僕には映っていました。

さて、僕も帰り道です。

ここで「僕も」と言ったのは、すれ違ったあの2人も帰り道の道中だろうと思っていたから。
配達の仕事を終えた彼氏が彼女に帰宅することを伝え、彼女が外まで迎えに来たところで、一緒に家まで帰っているように見えていました。

"一体彼らはどうやって待ち合わせたのだろう。"

ふと僕のなかで疑問が湧きました。
あぁなるほど。多分、最後の配達先を終えた時点で、

「今自分が(現在地)にいるよ、これから帰るねー」
「だったら(待ち合わせ場所)まで迎えにいきたい!」

的なノリだったのでしょうか。

"いや、ちょっと待てよ。
もしかしたらこれから配達を始めるのかもしれない。"

てっきり、自分が帰宅中だから、相手もそうだと思ってしまっていた。
しかし、まだまだ夕飯の配達需要が見込める時間。
しかも、駅から歩いている僕とすれ違ったということは、2人は駅の方に向かって歩いている。

確かに、飲食店が集中している駅周辺にいた方が配達の依頼を受けやすいだろうし、駅のあたりで注文依頼を待つ方が多い印象だ。
なるほど、彼女は「お迎え」ではなく**「お見送り」**だったのかもしれない。彼氏のそばに少しでも長くいたい彼女が途中までついてきてしまったのでしょうか。

配達バッグを背負って配達をせずにチャリを押しているなら、状況は「配達前」か「配達後」の2通りしか考えられません。まさか普段使いであのバッグを使っているわけじゃあるまいし。

なるほど、彼女はゾッコンだ。

"良いな、羨ましいな。"

そうか、だから僕はこの男女が煌めくように新しく映ったのか。

僕は思わず振り返ってしまいました。
並んで歩く2人の後ろ姿と、男性が背負っている大きなバッグが見えました。

あのバッグは、料理を運んでいないときに小さく折り畳めないのだろうか。いや、折り畳めたとしても、あのバッグを折り畳むことはできない。
僕にはあのバッグに、今なお何かが入っているように見えたのです。

男性は学生の方でしょうか、あるいは何かの夢を追ってるアルバイターでしょうか。
どちらにせよ、同棲している家賃や生活費は、あのバッグを背負って配達したお金で賄っているのでしょう。
そう考えると、あのバッグに詰まっているのは、彼の夢であり、彼女の期待であり愛であり、そして彼が彼女を思う気持ちなのかもしれません。

そして、彼はそれを背負って、運んでいます。
同じ場所に安定しようと留まることはない、いやできない。
自転車に跨っているとき、漕ぎ続けなければ倒れてしまいます。
夢だってそう、行動しなければ追うことはできません。
愛だって、何もしなければ関係が悪化してしまうことでしょう。
彼を見ていると、彼氏、夢追い人、としての概念を象徴しているように見えます。

"配達中、彼は何を思っているのだろう?"

今は、コロナ禍ということもあって、渡す人の顔を見ずに配達を終えることも多いかもしれません。
ただ、渡す人の顔が見えないからと言って、無愛想に温かい料理を置くわけではないような気がします。
いや、むしろ送り主の顔がわからないからこそ、彼女の喜ぶ顔を補完的に思い浮かべているのかもしれません。

なぜか。
彼女が送り迎えをしてくれるからですよ。

彼氏は配達中に思うのです。「彼女はお夕飯の準備をしてくれている、お掃除をしてくれている。」だから彼氏は大切に料理を運ぶ。

彼女もまたそれに気づいている。だから、彼氏が温かいスープを大切に運んでいることを思うと、自分の気持ちまで包み込まれたような暖かさを感じるのでしょう。

デリバリーが愛を増幅させている。

これぞUber!

あの大きくて四角いバッグの積載量も、2人の愛の総量には到底満たないのです。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n306f308f3581
公開日: 2022-02-17 09:00