筋トレのかっこよさ

「結果としてのマッチョ、目的としてのマッチョ」
どちらのマッチョがカッコいいのか、というテーマについて。
(ここでいうマッチョ、とは、手入れの行き届いた体、という意味)

https://note.com/tsukasa_ichinose/m/m9427bf6d581d

最初、僕は前者派だった。
まず、結果としてのマッチョ、というのはいわゆる水泳選手とか、ボクサーとか、そういう人たちに見られるようなマッチョである。
別の何かを求めて体を鍛え、手にしたマッチョ、というやつ。
これは、王道っちゃ王道。
そもそも筋肉は何かのためにあるものなので、何かの技能向上のために然るべき筋肉を育てる、という論理は実に王道っぽい。

・・・

対して、目的としてのマッチョは、ボディービルダーのようなマッチョのこと。
筋肉そのものが目的にある。
これは、先の話と照らすと邪道っぽく見える。
だって、何かの技能向上を目的としていない=何かに使うことを想定していない筋肉を育てているのですから。

ただ、筋肉だけが目的であるが故に、逆説的に「より筋肉と純粋に向き合っている」とも言えませんか。
役に立つことを想定していない筋肉を、相当な苦労を重ねて、鍛え上げている。
これこそ究極の遊び・レジャーとも言えるのです。
そう考えると、むしろこっちの方が王道にも思えてくる。

・・・

いつかの同性愛に対する考え方、に近い。
子孫繁栄を目的としていない恋愛、すなわち、より純粋な恋愛なんだ、という。

結論、どっちでもカッコいいのです。
(マッチョじゃないひとがカッコ悪い、とは言ってません)

〇〇のための数学もあれば、数学のための数学もある。
〇〇のためのアートもあれば、アートのためのアートもある。

こんな風に、XのためのA、AのためのA、というのが共存しているジャンルみたいなものは沢山ある。
そういうジャンルは大抵、面白い。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n1e8642e9bfa0
公開日: 2023-02-15 17:00