人工地震について。

嘘か誠か。

この度の地震で「人工地震」というワードをたびたび目にすることがあった。正月の大きなニュースが乱立するなか、確かに小規模ではあるものの、一定の盛り上がりを見せていた。

果たして、今回の地震は人工地震か自然地震どちらなのか。
僕が真剣に答えるならば、「わからない」というしかない。
それこそ、「自然地震だ」という主張を通すのも実は結構難しいことだと思う。
人工地震だと思う人に「それでも、なんでその理由だけで人工地震ではないと言えるの?」と突っ込まれる隙を一切与えないのは結構難しい。

真は不明。

この前提に立ってみると、じゃあ自然地震か人工地震か主張している人は、結局何を根拠にしているのだろうか。

それを信じたい、そうであって欲しい、という欲求である。

それぞれの立場で主張をしている人は、そう信じたくて、そのために好都合な断片的な情報を取り合わせてきているのだ。

このアプローチ自体になんらおかしいことはない。

至って普通な人間の営みだと思う。

一方で、2つだけ気になる点がある。

それが、「なぜそう信じたいのか」ということ。

それと、「なぜ危機を感じているのか」ということ。

1点目の質問は実にストレートだ。

自然地震だと思いたい人は、何でそう信じたいのだろうか、という疑問だ。

なんで、人工地震だとは思いたくないのだろう。

反対もそう。

少し言葉を選びながら話す必要があるが、弊国の教育環境とやらのなかで育った人間として、順当的な立場として主張ができるのが自然地震である。

対して、少し鋭利な角度で投げかけられた「人工地震」という位置関係を見ることができると思う。

そのなかで、なぜ今回の地震が人工地震だと思いたいのだろう。

2点目の疑問、「なぜ危機を感じているのか」について。

そもそも、人はどうでも良いことと、白黒はっきりしておいた方がいいことと、色々とバランスをとりながら生きていると思う。

ありとあらゆるジャンル全てのニュースに躍起になって、口を出している人間は僕はいないと思っている。

例えば、ファブリーズとリセッシュのどちらが本当に良いものなのか、というテーマがあっても良い。そのために、そもそも「良い」というのがどういうことを指すのか定義をし、その上で、比較検討項目を用意し、リサーチをして、評価して、総的に高評価だったものを採用(購入)している人はそこまでいないと思うのです。

広告で見て、なんとなく良いとか、たまたま10円やすく売ってたとか、そんなもんだと思う。

24時間のなかの行動全てにいちいちこだわりを持っていないのが普通。

ただ、そのなかで、「ここだけはハッキリさせておかないと」というような、その人にとって重要な問いがいくつかある。そのツボに対して、人はパワーを注ぐ。

健康や美容に気を遣っている人、合格やパスすることに気を遣っている人、色んなタイプいると思うが、それぞれの人に「ここはハッキリさせておきたい」というツボがあるのです。

それは、ある種の危機感からくるものです。

こうなっていて欲しいという理想の状況があって、「そうならないことへの危機」が、人を動かすのです。そんな問いを前にして、人は熱心になると思うのです。

だから、今回の地震が起こったとき、あるいは誰かが今回の地震について何か言ったとき。

自分のなかで強く信じていることの何かが危ぶまれたということなのです。

だから、違う(と思いたい)方を、違うと言っておきたいのです。

じゃあ、なんでそんな危機を感じたの?

あなたが信じているもののなかで比較的支柱的な存在のある何かが、今回の件で危ぶまれたの?だったらそれは何?という疑問がわくのです。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n4883dad6c1f0
公開日: 2024-01-23 18:00