なぜ走るか
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2022年3月からランニングを始めた。
僕は本当に怠惰な人間で、今年は始めることとやめることをコツコツ続けようと決めていた。
特に理由はないけれど、走りたくなった。
ただ、何かが変わる音が聞こえるのです。
長いこと止まっていた歯車がギチギチと音を立てながら、ゆっくりゆっくり動き始める音が。
この先に何かある、他の歯車も動き始めそうな、その確かな感覚だけで今走ることがこの上なく楽しいのです。
■ 今日聴いた曲
「乃木坂46 / 僕のこと、知ってる?」
https://open.spotify.com/track/39epbMXRznFcePJ7qjpdTO?si=56148c63b8564536
僕、乃木坂だったらこの曲が一番好きかも。
彼女らがねぇ、「僕のこと、知ってる?」って。
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なぜ走るか
今は、週に2-4回走ってる。
今は7kmくらいを40分くらいで走るから、6分/kmくらい?
スロージョグくらいのスピードなのかな。
健康のため?とか夏に向けて?
とか聞かれるんだけれど、
正直、全然と言っていいほど僕の思っていることは違う。
夏じゃなくても走りたいし、たとえ不健康になりますと言われても走りたい。
気持ちがいいから走ってる。紛れもなく、走りたくて走っています。
自己目的的行為
このような活動を大人になってやっておくことは、非常に健全な活動だと思いますね。
大人になると何か理由がないと動けないですから。
子供っぽさを持っておくことは僕は本当に大切で、ただ意外と難しいことだと思っています。
そんな幼児性の再獲得にもなっているんだろうなあと。
子供って意味なく無限に走りますからね。
たまにリモート勤務で、午後に走ると園児の帰宅とバッティングしますが、まぁあいつらホント元気ですね。
ママの自転車の後ろに乗りゃ良いのに、走って帰るんですよ。
ただ、彼らに理由はないです。走りたくて走ってるだけです。
胸の内に起こった衝動のままに、道があるから走るのです。
一応強調したいのが、さっき幼児性の再獲得と言いましたが、それは僕の目的ではないです。
あくまでも僕は走りたくて走ってる。
ただ、この取り組みを客観的に評価したとき、幼児性の再獲得につながっているのかなと。
だとしたら、素晴らしい取り組みだろうな。みたいな話なだけです。
幼児性の再獲得を目的にしたランニングでは、幼児性を再獲得できない、なぜなら走ること自体が目的とされていないから、という変な話になってしまうので。
整理すると、走るという行為そのものが幼児性の獲得である、と理解しても良いのかもしれません。
柔軟との関係性
ちなみに、前に柔軟について話したことがある。
https://note.com/cheezbutler/n/n0ec8b27462f7
柔軟を始めたきっかけはランニングで、ランニングで長距離を走るために、柔らかい筋肉の方が良いのかなあと思って始めたのですが、今は柔軟体操という行為にさらに高い価値を個人的には見出しているという話をしました。
冒頭で「何かが変わる音がする」と書きましたが、柔軟をやりたくなった自分に気づいて確信しました。どんなに小さいことでも、少しずつ、少しずつ変わっていくんだと。
一個、ランニングを始める、みたいなことをするだけで、「食べ物変えてみようかな」とか「柔軟してみようかな」とか、少しずつ他のことも変わっていくのです。
まぁ良い。
柔軟すると僕でいうところの「美味しそうな体」になると思っているのですが、ランニングしてる人の筋肉ってそんな美味しそうに見えなくないすか?
なんか、たっぷりお肉がついてる感じじゃなさそうだし、ほっそい居酒屋で出てくる手羽先みたいな感じの雰囲気出てません?
じゃあ、美味しそうな体づくりの妨げになっているのでは?みたいなご指摘を巨人の方々からいただくかもしれません。
ただ、僕はこう返します。
安心してください巨人さん、私の体は非常に美味しいです、と。
だって、ストレスがかかった人間こそ肉の味が落ちますぜ。
走りたくて走ってる、気持ちよく走らせてあげた方が、美味しいお肉に育つんちゃうの?
ストレス溜まりまくって、誹謗中傷しまくってる人間よりよっぽどうまいっすよ僕。
だから、ランニングと柔軟は精神面と肉体面で、僕自身の体をおいしく磨いていると思ってくださいよ。
今日は雨でした、明日は晴れるらしい。やった。
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n70c9dc143c29
公開日: 2022-05-03 17:00