自分のために使う時間、あなたのために使う時間、誰かのために使う時間、について
どんな人生がいいか。
人を説明する変数は無限にある、と思っています。
無限にあるならば、確かに”ある”とは言えるけれど、「だったら、どうワークさせるべき?」が分からない以上、”ない”と言っても良いでしょう。
遠回りな気もするが、故に「いいか悪いかなんて分かるわけがない」と言える。
https://note.com/tsukasa_ichinose/m/m9427bf6d581d
とはいえ、生きてる内に、コトをうまく運びたい、とは誰もが思っていて。
じゃあどうしようかという話になるときに出てくるのが、「瞬間的トキメキ」論。
胸の高鳴りに正直になることで、一瞬のうちに答えがわかる、みたいな世界観の話。
狩りから帰ってきた親ペンギンが、声だけで自分の子供を、何千何万の子供ペンギンの群れのなかで見つけ出すように。
まさに、「オトノナルホウヘ→」。
これは非常に面白い。
×印の積み重ねによって○印が浮かび上がってくるようなアプローチ、ではなく、
いきなり、「これが○なんだ」とわかってしまうような話ですから。
話を進めると、
僕的にはね、
・いつか、何かで高鳴る鼓動に耳を澄まして待つこと、と
・今目の前に置かれた状況と真剣に向き合わないこと、は違うと思っていて。
理由はあまりにも人生が短いからです。
何と比べて、というか、何と比べたら長いと思えるのかが逆に知りたい。
もし300年くらい健康寿命が伸びたとしても全然短いと思っている。
1万年くらい寿命があれば、多少は、適当にポヤポヤ考えている時間も確保して良いんだとは思うのですが。
それでも、おそらく、1万年の寿命が人間に与えられる頃には、人はきっと1万年過ごさないと思うんですよね。
1万年未満の時間を自ら決めて、限られた時間を生きると思うんですよ。これぞweb1000.0。
その意味でも、人生はきっとこの先も「短いまま」な気がします。
まさに親ペンギンさんは、例えば「目を閉じてその場で胡座になって子が一瞬でわかる自らの覚醒」みたいなものを待つコトは絶対にしません。
だって、子供は餌をもらえなかったら死んでしまうわけですから。
「この子じゃない、あの子じゃない」と、とにかく今近くにいるペンギンから必死で顔を見て、声を確認して、と動くものです。
鳴くまで待とうホトトギス、的なコトは言ってられないのです。
まぁそんな前段は置いといて。
「その時間を”誰のために使うか”」という視点、まぁ物差しですよね。これでバランスを整えてみたいなと思った最近です。
大袈裟だけど、
・自分のため8h
・貴方のため8h
・誰かのため8h
みたいな。
どうなんでしょう。
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/nfe93e4386abe
公開日: 2022-08-31 17:00