木漏れ日とブロッコリー

**

駅のホームにできた陰。前からずっとその恩恵にあやかっていたけれど、陰を作る主を認識することはこれまでなかった。
ふと上を見上げ、スンと聳え立っていたそれ(大木)と初めて対峙した日。
思ったことをなるべく正確に書き留めようとしたメモ書き。

・・・

**■ 今日聴いた曲
**セロニアス・モンク「Genius Of Modern Music(Vol.1, Expanded Edition)」

https://open.spotify.com/album/6DRjwkPa8kT9vifu7tH3PL?si=N9hemZ2CReCIC42_LdZlbQ

・・・

*現在mediumからnoteへの移行中につき、記事の全文を無料公開しています。なお、こちらの記事は2022年1月24日に書かれたものです。

朝のホーム。
向かいのホームの屋根の上に、大きな木が立っていました。
もちろん、今日新しく生えたわけでも、移植されてきたわけでもありません。ずっと前からありました。

ただ、視界と視野は違う。視界に入っていたとしても、それと認識していないものは多いものです。

だって、いつもの道、見るものと見ないものはきっちり分別されてしまっていますから。
こういった習慣は意図的(敢えて違うところを見ようとする)なアクション、あるいは非意図的(ハプニング)な出来事に見舞われない限り、変わらないと思いますが、今日は後者。

いつもの定位置まで歩く途中、上に鳩を見つけまして。
フンに当たりたくないなぁと思って、いつもより上方への注意が抜かりなかったのです。だから、ホームの定位置で待っているときも、視野の範囲が普段よりやや上らへんだったのかもしれません。

普段電車が来るのを待つ”定位置”は、影が1番多い場所。
おでこ丸出しの短髪ヘアで、朝からおでこがピカピカしてるのは好きじゃないから。
そんな定位置から反対ホームを見たとき、その巨木が僕の目に入り、大脳に到達して初めて認識されました。

思えばいつもこの影にお世話になっていた、なのに、その存在をないものとしてしまっていました。見事に大きく、しかも形が綺麗でした。
ちょうど幹に対して線対称に枝葉を綺麗に膨らませた広葉樹。
それがゆらりゆらりと穏やかな様相で、屋根の上のその木の更に向こうからやってくる強い日の光を柔らかく、いなしていました。
それにしても全体としてのフォルムが非常に美しい。

この世界は1個のブロッコリーなんじゃないか。

非現実的なほどまでに綺麗な形をしているもんだから、そんな発想だって自分のなかで閉じる必要がありません。
「だってそうだもんね?」「うん」と木がこたえてくれるような気がするのです。

こうして、木は僕のものになる。
そしてゆっくりと、僕自身と木が同期し始める。
そうしているうちに、今心のなかに抱えている喧騒がみるみると相対化されていき、心がすごく落ち着きました。
海辺に座って絶えず押し寄せる波をぼんやり眺めながら、フーッと息をついたような、そんな気分。

そうか、僕たちはブロッコリーに寄生してる1つの菌みたいなものなんだ。
勝手に繁殖して、勝手に菌同士でルールを作って。
やがて偉い奴・従うやつが生まれて。
でもそれは誰かに食べられてしまうまでのたった一瞬ほどの話。

木によって心が溶けていくように、僕の中で色んなものを許し始めていました。

少し見方を変えてみよう。
今見えている木のあたりを完全な平面、二次元として見てみる。
キラキラがどんどん変化していく様子を見ることができます。
計画されていない、不確実が故に生まれる美しさがそこにあります。

もう一度立体、木としてみると、やはりなすがままに動く様子がそれはそれは気持ちが良いし雄大だなぁと。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n8891b3b87e19
公開日: 2022-04-10 14:20