良い記事とは何かvol.1(E-E-A-Tについて改めて考える)

https://note.com/reitsuzuki/n/n1b4d3fd75c22

僕は「ここでしか読めない記事」を目指しているんですよね。
それは僕だからこそ書ける記事。だから僕は僕のことを書こうと。
これと言って権威や専門性が認められた領域はないし。

しかし、ここで重大な問題があるのです。

例えば、「バンジーをしました、怖かったです。」
これが紛れもない僕の体験だったとしましょう。
厳密な意味において、これは僕が実際に体験した話、そして本当に思ったことであるので、ここでしか読むことができない記事なのかもしれない。

しかし、バンジーをしたことがある人間は腐るほどいます。
かつ、バンジーをして「怖い」と思った人の数も死ぬほどいる。

つまり、僕が僕のことを書く、という執筆における構造上の希少性を作り出したところで、
「バンジーをして怖かった」と書くことによる中身(コンテンツ)の希少性が皆無なのです。

それは、僕という人間が、他のバンジーをした人間と違う、ということが、社会的に認知されていないところが非常に大きい。
僕と僕以外の人で、同じ内容を喋ったら、それは同じ記事なのです。

これが大谷翔平さんだったら、何を書いたって価値を生みますよ。
「大谷さんバンジーしたんだ!」とか「やっぱり大谷さんも怖いんだ!」とか。

何者でもない人間は、何か体験とかでぶっ飛んでないと、価値希少性を作り出すことは実に難しいと思うのです。
ここを逃げないことが言わば「地肩を鍛える」ということなのかもしれないなと。
結論、もっと頑張ろうと思いました。

ただ、やりたくないことはやりたくないし、僕はどうしたらいいのだろう。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/nf4997a2ffecf
公開日: 2023-08-16 18:00