変えられるのは自分だけ、という話について。
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「人は変えられない、変えられるのは自分だけ」
みたいな言説が流布している。
最近まで信じていたけれど、どうも最近、それが極端だと思うようになった、という話。
https://note.com/tsukasa_ichinose/m/m9427bf6d581d
自分だけ、というところにスコープを狭め過ぎているような感じがあります。そこに「圧倒的な諦め」を感じるのです、そこが極端。
でもさ、目的が他人にも動いて欲しい場合だってやっぱりあると思うんですね。
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塾講師の例。
りんごで例えて何かを教えるとする、生徒は理解できない。
だから重ねるように、りんごの例えでゆっくりじっくり畳みかけるが、生徒はできるようになってくれない。
「なんでよ!だって、りんごだったら、これがこうで、こうじゃんか!」
生徒はわからない。
そんなとき、「変えられるのは自分だけ」と思って、
みかんで例えて説明をする、生徒がようやく理解できました。と。
ここで強調したいのは、ずーっと目的は変わらず「生徒を動かすこと」であるということ。
先生が受験会場の席に座って解くことはできないんだから。
あくまでも「自分が変わる」というのは手段の一つであって、それを目的化してはいけないんだろうなぁと思ったって話です。
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例えばもし、自分が大統領だったら。
「他人(国民)は変えられない、だから自分だけ変わろう。」
この心持ちを持つことは大統領としては誤りなんじゃないか?と思いませんか。
微妙な差だけれど、
「人は変えられない、だから自分だけ変わろう」というのと、
「人は”簡単には”変えられない、だから”まずは”自分が変わろう」というのでは、全く意味が異なると思いました。
もちろん、自分を変えるよりも、圧倒的に難しい話だとは思うけれど、「可能性が低い」だけの話で、その部分の話を完全に除け者にしてしまうのはどうなの、と思った話。
甲子園で優勝する確率なんて、どの強豪校であっても低いけれど、そりゃ目指しますよね。
大阪桐蔭の監督の口から「あのね。みなさん、甲子園の優勝は無理っす!県大会に出るぞ!」みたいな、そんな馬鹿な話あります?
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n9301d10798e7
公開日: 2022-09-23 17:00