なぜ「頭が悪い理論」が嫌いか

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起こったことの原因を誰かの頭の悪さに置くのが嫌いだ。
(このことを以降では、「頭が悪い理論」と呼びたい。)
そもそも、頭の悪さに起因させてしまうこと自体、頭の悪い思考回路だと思う。
だから嫌いってわけではないけれど。
どうすれば良いか、発展性を見出しづらいから嫌いなんだと思う。
それ言って何になるの、というか。
なんでそんなことを言ってしまうんだろうと、考えてみた記録。
最近は、実は”嫌い”と思われるのは承知の上で言っていて、「は?そんなことねーし」待ちで、逆ギレ的にでも然るべき行動を促せばOKみたいなスタンスでいらっしゃるのかなと思ってみたり。まぁ、考えてみました。

理由の作り方

例えば、野球で誤審があったとして。

「審判がバカだったから。」
これもまぁ理由の設定としては誤りではないと思う。
ただ、以下のような理由設定に持っていく方向性も考えられないだろうか。

「ジャッジを人間に任せているから」
「ルールが曖昧だったから」

経営者の人とか、人に何か教えるような立場にある人は、システマティックな思考で原因を求めがち。「そもそもこれは人がやっているのが問題であって…」的な。

学者とか記者とか、ファクトベースっぽい思考で原因を求めがち。「そもそもルールが曖昧なのが問題であって…」的な。

あとは、冒頭で言ったように「そもそもコイツが馬鹿だから」という原因を求めがちな人もいる。

みーんな、「そもそも」という言葉を使うんですよね。
我こそがもっとも原理原則の論理に則ってるんだと言わんばかりに。

思考のクセを知る

思考には必ずクセ、個性があると思います。

コンサルの人も、「我こそが正しき思考」とでもいうような出立ちでいたりするけれど、それもまた1つのクセみたいなものなんだと思う(最近になってそう思えるようになった)。

自分なりに考えて、正しげな道筋が立てられたとしても、決してそれは1個の正解に過ぎないということをきちんと弁えた人間でありたいと強く思います。

そのために、自分の思考を書き残しておくことが必要なのです。
あと他人の考えに耳を傾ける。
そのときは相手の考えをなるべくピュアに、RAW形式で取り込む。
こちらであらかじめ用意している枠組みで理解しようとはしない。

そして、自分と貴方で思考のクセに違いを見つけたら、どちらも間違ってるとは思わなくていい。
むしろ、それぞれの思考で突き進むべき。
色んな方向性の人がいた方が、漏れがなくなって、協業して出た考えの最もらしさが上がると思います。いい意味でバランスが取れた解が出てくるというか。

■ 今日聴いた曲
「Vaundy / 裸の勇者」

https://open.spotify.com/album/1tLmGtOgNhMFgPR5bQpigb?si=tD_qX4O_SrqKVZymZJYPvQ

二人話が好き


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/ne3879510262b
公開日: 2022-05-05 17:00